覚書、あるいは散文

サルベージ物。

2006年11月作成、2007年5月最終更新の名無しテキストファイルより。

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脳と仮想。

DWのプロットと取っ組み合いをしつつ、脳と心とネットワークについては、常にぐるぐると考えています。
多くは、人が人に、イメージを投影するということについて。

例えば、ネット上で知り合った人。
本当の姿も声も知らないのに、その人達は確かに、自分の心の中に座を占めている。本当の「その人」のことなど知らないと分かっているのに、イメージを投影する。意識する・しないに関わらず……メールを書くにしろ、チャットで話すにしろ、おそらく、「その人」に対して言葉を紡ぐ時には、自分の中に、「その人の像」がヴァーチャルにできあがっていると思う。
ネットの世界に限らず、リアルに付き合いのある友人に紙の手紙を書く時にも、意識をしていないだけで、やはり、ヴァーチャルな像を思い浮かべているのだと思うが。
……不思議なのは、姿形も知らないその人達の存在を、とてもリアルに感じること。

文字あるいは絵として表出したものでしか知らないが……だからこそ、多くをイメージで補い、故に、その像は強く自己に親和する。
「VN(ネット世界)は理想化されているからシンクロしやすい」というのは、作中で使ったことのある表現だが、……改めて、ああそうかこういうことか、と。
現代のネットワークは、VN世界のように身体感覚を伴うわけではないが、それ故に、強く理想化が起きるのかもしれない。他ならぬ、利用者の脳の働きによって。
脳は、世界の欠損を想像によって補ってしまうものだから。自らの内にある情報で、自動的かつ無自覚に。

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めめんともり

 こんな夢を見た。

 ある日の、たぶん午後。陽はやや傾き掛けているのか、夕暮れとまではいかないが、どこか薄ぼんやりと室内を照らしていた。光量は十分なようで明かりを付けてはいなかったから、時間の問題ではなく、単に曇りだったのかもしれない。
 南向きの大きな窓のそばに平机を置いて、同い年の従姉と、二つ下の従弟が宿題をしていた。多分夏休みなのだろう。その割に印象が薄暗いのは、夢に特有のものだ。私の見る夢は大概、色は付いているが全体にぼんやりとして薄暗い。覚えている夢に限ってのことではあるが。
 従弟が自由研究のために淡水の海へ行きたいと言いだして、三人で隣県の汽水湖へ出かけることになった。淡水の海というのが思いつかなかったからなのだが、目覚めてから考えれば、そもそもそんなものがあるはずもない。
 汽水湖へは、電車に乗って出かけた。湖は広大でほとんど海と変わりなく、時刻が遅いせいかひどく波高かった。浜では、遊びに来ていた人たちが帰り支度を始めていて、その風情も、夏休みの海そのままだった。
 これなら地元の海でも良かったんじゃないだろうか、なんで淡水なのだろう、と思っていると、視界の端で何か赤いものがひるがえった。何だろう、と見直すと、それは大きな鯉なのだった。地は白く、7割ほどに鮮やかな緋色を散らした錦鯉。驚くべき事に、その身は広大な浜の3分の1ほどもあった。浜の全体が目に入っていたことからすると、私達は少し離れた、高いところに立っていたのだろう。鯉は、頭から岸へ突っ込むような格好で、桟橋に横付けした船のようにも見えた。
 全てが薄ぼんやりとした夢の中で、その緋色だけが妙に鮮やかに浮き上がり、目をそらすことが出来なかった。巨大な生物は、相対するだけで畏怖を感じさせるものだ。そんなことは夢でも現実でも変わりがない。
 浜にいた人たちは、いつの間にかいなくなってしまっていた。巨大な魚から逃げたのかもしれない。一緒にいたはずの従姉弟たちも見あたらなかった。私は、その魚をもっと見たくて、近寄っていった。波はますます高く、ほとんど私の背丈を超えていたが、その水が私に触れることも、波が魚をさらってしまうこともなかった。
 近づいてみると、魚はその頭の高さだけでも、私の倍はあった。打ち上げられたような格好に見えたが、特に苦しんでいる様子もない。静かに口元やえらを動かすさまは、緩慢ではあっても、死にゆこうとしているようには見えなかった。私はその巨大な口から覗く、魚類らしい尖った歯列を眺めながら、自分がその魚に一飲みにされる近未来を夢想した。

 これでは一口で食べられてしまうな、それ以前に、ここに立ってたら波に呑まれるかな、まぁそれでもいいや。

 ――そう思ったところで、目が覚めた。

 + + +

……と、そんな夢を見たという話。いやまあ、半睡状態だったんで、たぶん最初から最後まで夢だって分かってた気がするんだけど。淡水の海って、一体何の自由研究なんだろうなぁ……。浜○湖にいるのは鰻であって鯉じゃないと思うんだけど。

それにしても、私は自分が死にそうなシチュエーションの夢では、常に「まぁいいや」とか思ったところで目が覚めるような気がしますよ。いや、多分この夢の続きを見ても、この魚は私を食べたりはしなかったと思いますがなんとなく。

他人の夢の話なんざぁ読んでも面白くない気がしますが、私にしては珍しく非現実感の強い夢だったんで日記のネタにしておきます。あ、文体が妙に真面目というか小説調?なのは、これまた珍しく気が向いたので。まぁ、これ一人称だから、むかし小説書いてた頃の文体とはまた違うわけだけど。

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夢も現実も、脳内のスクリーンに映し出された影絵であれば

そもそもそこに境界があると言うこと自体、幻であるような。

 * * *

薬の副作用をひきずったまま寝ていたからか、今朝方の夢は、夢を夢と知りつつ現実の記憶があやふやになるような内容でした。

夢の内容は、盆や正月に集まって遊ぶメンバー(高校時代の友人連中)に、いつの間にか一人新参者が混じっているというものだったのですが、――半覚醒状態で夢の続きにいる私には、その「新参者」が、現実にいるのかいないのか分からなくなったという。

いや、起きてみれば、そんな「新参者」など、いないという実感が沸いてくるのですが。記憶など所詮はあやふやなもの。今、起きて「そんな人はいない」と感じているこの「実感」が、正しい記憶というか…事実にもとづいている保証も、また無いわけで。

私の夢に現れた「その人」は、次の集まりで皆に確認してみるまで、存在も不在も確定しない。さながら、箱を開けるまで生死の確定しない、あの猫のように。

夢とうつつの間の、不安なような、けれどもひどく甘美でもある、あの感覚。時としてそんなものをもたらすならば、副作用もそう悪くはない。

そんなことを言っているから、死因は睡眠薬のオーバードーズ、なんて診断されてしまうのかもしれないけれど(笑

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