File-002
「何だかつまらないわ」
私の文章をのぞき見て、ルシィは溜息をついた。おそらく、呆れているのだろう。
「つまらないかな?」
「つまらないわねぇ。だって、これじゃただ単に事実を羅列してるだけじゃない」
それの何が悪いのかと聞くと、ルシィはもう一度溜息をついた。深々と。
「……まぁ、あなたらしいと言えなくもないけどね」
ルシィは、私と同種のAI――人工知能だ。性格付けは異なるが、私とほぼ同じ構成を持ち、人間でいえば、きょうだいにあたる。彼女は私の後に作られたので、その意味では「妹」といえるのかもしれないが、若い――つまりヴァージョンが新しいということは、そのぶん高性能ということでもある。そのせいか、何につけても私は彼女に及ばない。特に、今取り組んでいるような自由課題においては。
「大体、アーカイブを読破したって。馬鹿正直に最高速で休み無く読み込むからいけないんじゃない。暇つぶしの読書は、音楽を聴いたり、お茶を飲んだり、犬の頭をなでたりしながらするものよ。そうじゃなければ暇が潰れる前に本が尽きるわ」
音楽やお茶はともかく、犬というのはどうかと問う間もなく、目の前にゴールデン・レトリバーが現れた。わふ、と一声鳴くや否や私の身体に前足をかけ、口元を舐め上げようとする。平均的な成人女性と同じか、それ以上の重量を持つ犬だ。飛びかかられた勢いで椅子から滑り落ちてしまうと、どうしようもなかった。幸い、本日この仮想空間は「芝生の庭園」に設定されている。硬い床の設定だったら、痛い目を見るところだったが。
「可愛いでしょう、データベースにあったから再現してみたの」
どうやら、これは彼女の「自由課題」であるらしかった。犬の姿をした独立オブジェクト。私は――そしてルシィも――本物の犬を見たことも触れたことも無いが、これの原形となったデータは、生身の犬から取られているはずだ。形状、重量、動作、反応パターンといったもの。ルシィが付け加えた要素もあるかもしれない。いくら人懐こい性質の犬種とは言え、初対面でじゃれつくのは過剰だろう。唾液でべとべとになった顔を拭うと、ルシィは堪りかねたように笑い出した。
「あなたが気に入ったみたいね」
誰にでもこう反応するわけじゃないのよ、と付け足して、私を助け起こす。
「君がそう設定したんだろう」
「まぁね。でも、別にあなたにじゃれつかせるために作ったわけじゃないから。でも、そうか、やっぱりそうなんだなぁー…」
「何が、やっぱり?」
「さぁ、何かしらねー」
どうせ言っても分からないから内緒よ、と呟き、ルシィは犬の頭をなでた。皿から菓子をひとつ取り、口に放り込む。ビスケット、マフィン、チョコレート・トリュフ。テーブルに並べられたそれらは、全てルシィの「作品」だ。AIである我々には飲食の必要はないし、そもそも仮想空間での飲食は、生身の人間にだってカロリー補給という意味では無意味なのだが、こういうプログラムが存在するところに、人間の心を理解するカギがあるはずだ――というのが、これを自由課題に選んだときのルシィの言い分だった。果たして学習の助けになっているのかどうかは分からないが、以来、ルシィはこうして「お茶をする」ようになった。今日のように自由時間が重なっていれば、私も同席する。はじめは時間を無駄にしているように思えたが、最近ではそうでもない。こうしてのんびりと交わす会話には、それなりの意義があるように感じられてきたからだ。それが何かと定義づけることは、私にはまだ難しいけれど。
「……あなたの言葉がカギ括弧に入っていないから、かしらね。あなたの視点でものを見ている気がするのに、時間の方は止まっているように思える」
「日記のようなものだ。自分の言葉をセリフとして強調する必要を感じない。それに、リアルタイムで書いているわけじゃないんだし」
「じゃあ、風景の描写なんかはどう。私たちは≪ここ≫がどこだか、どんな場所だか分かっているけれど、それを全く知らない人には分からないでしょう。あなたの書き方では、想像できない。それは、不親切ってものじゃない? 博士がまず自己紹介をしろと言ったのは、読者の存在を想定しているからでしょうに」
「それは、そうかもしれないが……」
口ごもってしまったら、そこで負けたも同然だった。ルシィは、思い切り口の端をつり上げる。勝ち誇った笑み、というものだろうか。
「じゃあ、課題に追加。時々はあなたの言葉もカギ括弧に入れるのよ。全てじゃなくて良いけど。それから、周囲の様子や、あなたの気持ちもちゃんと書いて。せっかく五感があるんだから、感じたことも書くべきなのよ。例えば――…」
ルシィはテーブルからチョコレートをつまみ上げると、私の口の中へ放り込んだ。かすかな冷たさとほろ苦さ、そして甘みが伝わる。
「おいしい?」
うなずくと、ルシィは満足げに笑った。

