『脱ゆとり 中学教科書厚く』(4/6 中日新聞朝刊1面より)
『幻だった透明化 “裏”で文科省指摘』(同・14~15面より)
――だそうですよ。あーはーはーはーはー。
まぁ、「例の3割カットになった部分が発展的内容として(ほぼ)復活する」というのは、この記事を読む前から知ってたんですけどね。二次方程式の解の公式とか、接弦定理とか、遺伝とかイオンとか。職場(塾)で配布される小冊子(というか読み物チラシ?)に載ってたから。
とはいえ、単に「削られた3割を戻す」だけでは進歩がないので、各出版社は創意工夫を凝らした教科書にしようと努力したのだと思いますが……結局のところ、文科省検定意見の前に、その「工夫」の部分を削らなければならないケースも多かったようですね。いつものことといえばいつものことですが、新聞に掲載されている「申請本の記述→検定意見→修正後の記述」の例を見るだけでも、文科省の姿勢がすかし見えるようでありますよ。ははは。
例えば、国語の修正例。(※中日新聞からの引用)
【申請本の記述】
一枚の絵があります。その絵についてお話を聞きましょう。
家がありました。
空に…(中略)
……三日月がかかっています。
【文科省の検定意見】
絵についての話を聞いて、その絵を描くという学習において、話の内容が十分に示されておらず、具体的にどのような絵を描けばよいのかわからないという支障を生ずるおそれがある。
【修正後の記述】
一枚の絵があります。その絵についてお話を聞きましょう。
家があります。
空には星が出ています。
家の前には池があります。
池には鳥がいます。
家の後ろには木があります。
木の上には月がかかっています。
これを何とも思わない人もいるでしょうが、私はここに文科省の態度が表れているように思いました。
そもそもこの設問(申請本)のねらいは、「話を良く聞き、雰囲気をくみ取り、描写の足りない部分は生徒自身が想像で補いながら絵を描くことにより、他者によって語られた「世界」を、自分の想像力で再構築すること」なのだと思います。学力、特に読解力・思考力・表現力(書く力)の低下が叫ばれているなか、出版社がそこに力を入れないはずはありませんから。(※実際の「ねらい」は違うかも知れませんが、ここではそう仮定して私の考えを述べています。)
しかし、文科省は申請本の記述を「具体的にどのような絵を描けばよいのかわからない」として、もっと詳細な描写を求めています。その結果、修正後の記述では誰が描いても同じような絵になりそうな、「考える余地」のない記述に変わっています。無ー意ー味ーーー。
つか、修正後の記述、こんなびっちり説明してあったら、小学生でも絵が描けると思うんですけど……コレ、仮にも中学校の教科書ですよね? で、美術だったらまだしも納得しますが、国語なんですよ。「絵についての話を聞いて、その絵を描くという学習」と言っても、「絵を描かせること自体が目的ではない」はずなのです。「正解の絵」があって、それとそっくり同じものを描けば正解、ということではないのだと思う。むしろ、与えられた「お話」から必要な情報を読み取り、自分の力で再構成してみること――さらに、描いた絵の違いから、人によって捉え方が異なることを知る――ということのほうが重要なんじゃないかと。(場合によってはこの学習の後で「お話のもとになった絵」を見て、今度は自分が「お話」を書いてみる……という方へ発展させるのかもしれない。だって国語だから。)
それが、ねぇ。……この指摘と修正、まず「みんながみんな同じような絵を描く」ことを求めているとしか思えんですよ。「正解」を期待しているというか。自由な発想の余地が無いというか。うん。(月を三日月で描くか満月かとか、そうゆうディテールの違いが発生することは無視してますゴメン)
……まぁコレは、アレですか。文科省は日本の将来を担うべき子供達に、自由な発想とか意見の交換とか対立意見を戦わせた上での統一見解獲得とか、そういうのは求めてないらしいですよ。ただ唯々諾々と上からの指示に従い集団からはみ出さず突出もせずヌルく人生をスルーして行けばいいと、本気でそう思ってるのかもしれんですよ。
他に、三つの新聞記事を比べて違いを考察した後、情報の提示の仕方として適切と感じるのはどれかと問うのも意見付けられてましたが。これも、文科省の意見は一見妥当なように見えて、「報道は出来るだけ客観的な情報を提供するべき物であり、報道者の主観・所感が入る場合にはその立場を明示するべきである」というジャーナリズムの原則(だと思う)を無視しているような。いや、もう面倒なのでまるごと引用はしませんが。(興味ある人は自分で調べて下さい。)
まぁ実際には、教科書をどう使うかは現場の先生方の判断によるわけで、教科書の記述がどうあろうと、授業内容にはさしたる違いは出ないのかもしれませんが。(あまり教科書使わない先生も結構いますのでね。)でも何というか、検定意見の随所に文科省の本音が感じられて、それがまぁ面白くないものだからここで呟いてみた次第。まぁ、元々期待はしてなかったんだけど、予想よりもつまらない結果だったのでがっくりですわ。全く、教育改革の道は険しいようですよ。トップがこれじゃぁ、現場の先生方は大変だぁ……。
他にも、社会のアレとか理科のソレとか、思うことはいろいろありますが長くなるので今回は触れません。気が向いたら、また別の機会にでも。はい。
(※当然ですが、このブログ記事は教科書検定に関する新聞記事を読んで樫居が持った所感であって、文科省にお勤めの方々個人の人格等を否定してるわけではないことをお断りしておきます。)